誕生日

私は自分の誕生日が好きじゃありません。

「おめでとう」と言われるのはもちろんのこと、話題にあがることすら好きではありません。
「誕生日会」なんかは恐怖の象徴そのものです。

そんな感覚を持っているので、便宜上不都合がない場合は、他人の誕生日にも私は何も言いません。
薄情な奴、と思われるかも知れませんが決して悪気はなく、それどころか相手を思いやっての結果です。
「自分がやられたら嫌なことは相手にやらない」を忠実に実行した結果です。

もちろん「おめでとう」を言われた方が喜ぶ人がかなり大きな割合で存在することも知っています。
例えば、恋人がいる時など、その一言を言わないがために起きるだろうリスクが物凄く高い場合はちゃんと言いますし、人から言われたらちゃんと「ありがとう」と返します。
ただ、自分にそういった感覚がないので、可能である状況ならば、相手の誕生日はスルーしようとしてしまいます。

どうしてここまで誕生日を恐れるかは自分でもわかりません。

  1. 歳を重ねることがこわいから
  2. 誕生日に楽しかった経験がないから
  3. 注目されることが苦手だから
  4. 生きていることが楽しくないから

いろいろ考えられますが、「結婚式」も「誕生日会」以上の恐怖であることを考慮すると、
「幸せになってはいけない、不幸でなければならない」という希死念慮的な感覚が無意識にあるのではと推測します。

フロイトはすべての人間には、生きようとする欲動と死を望む欲動「タナトス」があるとした二元論を提唱しました。
この二元論は最終的な欲動論とされており、欲動論は1900年前後から幾度となく修正・変更されてきました。
最初の欲動論は、自己保存欲動と性の欲動であり、2つの対を成すものとされました。
また、1910年頃にはナルシシズムの概念を取り入れ、性の欲動を自我リビドーと対象リビドーの2つに分類しました。
このような変化を遂げ、最終的には死の欲動 VS 生の欲動の二元論へと向かうのでした。

これがどう、私の誕生日嫌いに関係するのかというと、まったく関係ないのです。
そんなことより、フィリピンでは誕生日の人が誕生日会に皆を呼び、その人達の飲み食い代を誕生日の本人が払うという文化があります。

フィリピン人はこの日とクリスマスのためだけに一年間働きすべてを使い果たすとも言われてますが、私にとっては嫌なことをやられたうえに縁もゆかりもない奴らに奢らないといけない最悪の日でしたので、絶対フィリピン人に誕生日は教えませんでした。皆さんもフィリピンでは絶対言わないほうがいいです。

フィリピン雑学でした。

おわり。

誕生日” への1件のフィードバック

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