差別のすゝめ

差別には大きく分けて二種類あると(勝手に)思っている。受動的差別能動的差別である。

受動的差別とは、特に差別者自ら攻撃を仕掛けるわけではなく、防御の形で差別を行うことを指す。例えば、あなたが小さな店舗を経営していて、過去に何度も*在日韓国人に万引されたり、火をつけられたりしたため、過去の嫌な記憶から新たな在日韓国人のお客さまを入店禁止という形でお断りした場合である。(*あくまで在日韓国人は例えです。別に在日韓国人をディスってるわけではなく、これが「入れ墨を入れた人」や「ミャンマー人」でも構いません。)

一方、能動的差別とは、現在アメリカで広まっているアジア系へのヘイトクライムのように差別者自ら暴力や暴言なので攻撃に出るものである。さらに意味不明なのは、コロナの件で中国人を差別したいのに、韓国に帰れ!と言いながら日系人を襲ったりするケースである。もはやここまでくると差別する気あるんか、やる気ないならブラジル帰れ!ってロシア系イギリス人に言いたくなる。

ちなみに上記2つの言葉と意味は、私が勝手に名付け、意味付けたものなのでそんな専門用語はない。(と思う。似たような概念はすでに存在するのかもしれないが面倒くさいので勉強する気がない)

ここでタイトル回収に入るが、私がすゝめる差別は、受動的差別、つまり差別者自ら攻撃するわけではないが、差別対象者が自分のテリトリーに入った時のみ無視などを含めた防御的・回避的差別行動をとるというものである。

私は差別には意味があると思っているし、理由が必ずあると思っている。火の無い所に煙は立たぬと言われるように、長い間かけて「この類の人種には気をつけた方がいいよ」という先人の教えが差別なのである。しかし中には単に「アジア人顔キメェから嫌いだわ」という超理不尽な差別も多くある。この場合でも能動的差別(キメェから石投げようぜw)は根絶すべきだが、受動的差別(キメェから近寄りたくないわ)は多いに結構だと思っている。

近年では、モテないブスどもがポリコレウェーブにどさくさ紛れ、ルッキズムとかいう言葉を作り出し、何とか自分たちブスの立場向上に必死になっているようだが、残念ながら、かわいいが正義でキモいが悪は人間として当たり前の価値観である。キモいから近づきたくないというのは近づきたくない人の自由であり差別でも何でもない。んじゃ、ブスどもお前らはクロゴキブリをビーグル犬と同じように愛して飼えるのかと聞きたい。

私は、受動的差別主義者である。差別は過去の教えから学び、新たな被害から自身を守る正当防衛である。私はフィリピン人と会う時はもはや約束しても時間通りには待合場所に行かないし、またどうみても基本教育を受けてないようなフィリピン人と会った場合などは、ほぼ人間扱いはしていないし、なるべく関わらないようにしている。関わったところでメリットは皆無のわりに膨大なリスクだけあるのは過去の経験からわかっているからだ。このように言うと大抵、「全員が全員そうなわけじゃない」と言われる。当たり前だ。この世に100%な事柄など滅多にあるものではないし、100%になるまで待っていたら一向に差別出来ずに寿命が先に来てしまう。ある特定のグループで7~8割ほど同傾向があったら差別するには十分なサンプルである。

このような正当防衛的な行為でも「人種や教育レベルでひと括りにした」という事で差別主義者扱いされるのが現代である。差別主義者とレッテルを貼られるのは全然構わないが、受動的差別能動的差別の区別をわかって欲しい。私は避けたいグループに自ら攻撃を仕掛けるようなことはしたことがない。別名、平和的差別主義者なのである。

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