努力厨が社会を不幸にする

野球に興味がない人にさえ、その名が広まっているメジャーリーグに挑戦した大谷翔平選手。野球界のトップであるメジャーリーグで100マイルの速球を投げながらリーグトップの本塁打を打つ様子を見て、あらためて「すべては才能なんだな」と思った。

私は以前より、人間は生まれた瞬間に95%以上、運命は定まっていると考えている。一方、努力で人生を大きく変えられると思ってる人たちも多く存在し、その人たちは私のような考えに対しては強く反対し、なんでも努力に結びつけようとする。大谷翔平選手が165km/hぶん投げてるのも彼が着実に努力を重ねてきたからだ、と信じてやまない。ジョン・フォン・ノイマンがピコーンとコンピューターの原理を思いついたのも、辻井伸行さんが盲目の状態で世界最高レベルのピアノの演奏をするのも幼い頃からたゆみない努力を重ねてきた結果だと信じてやまない。運命すらも努力ですべて変えられると思い込んでいる層を努力厨と私は呼んでいる。

こういう話をすると決まって「辻井さんがどれだけ血の滲む努力をされてきたのかお前は知らないだろ!」という批判が来る。そういう話をしてるんじゃない。そもそも99%の人たちはその血の滲むような努力は絶対することは出来ないし、例えなんとかその努力が出来たとしても、目隠しして猫踏んじゃったすらまともに弾けないのである。

誰も努力を一切せずにアヒルが水上をすいすい移動するようにすべてが最初から出来るという話をしているわけではない。私も含め、皆少なからず何かに対して変えようと願い、何らかの努力はしているものである。しかし、99%の人たちは、吐血して血尿するほどの努力を精神的にも体力的にも続けることは出来ないし、例え出来たとしても、その努力はほぼ無駄に終わり、爆発的に開花することはない。人間は他の動物よりも個体差があまりにも大きいにも関わらず、努力厨はその事実には目を背け、才能や素質、環境や運というものを無視しすぎているような気がする。

ここまではまだ努力厨も単に個人の意見の問題なので別に問題はないのだが、彼らは集団で、才能に恵まれなかった人たちを「お前が○○のように△△出来ないのは努力が足りないせいだ」と攻撃してくる。そして不幸にもこの勢力は日本に多く存在し、これが日本人の不幸の一部を作っていると思っている。

大谷翔平選手の話に戻ると、そもそも彼は努力どうこうの前に生まれのスタートラインが我々と違う。身長160cmの状態から毎日の努力で(まぁ、足を引っ張ったりなんだりで)193cmまでなんとか伸ばし、今の基礎体幹を作り上げたとかなら、私も少し努力の余地を認める。牛乳を飲んだり、夜早く寝たり多少の努力はしたんだろうが、これは遺伝、素質以外のなんでもない。牛乳を毎日飲んだおかげで身長193cmになったなら、おそらくその牛乳はホルモン剤に汚染されているので調査した方がいい。

このへんの話はまだ努力厨の人たちにも話せばわかる。なぜなら彼らは、こういった身長や顔のような明らかに「目に見える」才能に関しては反論が難しいからか、いつものように努力、努力と叫ばず素質や運を認める傾向にある(だがなるべくその話題は避けようとする)。しかし「目に見えない素質」の話題に移ると水を得た魚のように「努力で変えられる」と主張し、そのレベルに達していない人たちを「努力不足」という槍で攻撃してくるのである。

そして、努力厨の最大の特徴は、「努力で人生は変えられる」と提唱している割に、言ってる自分は結構大したことがねぇってことである。努力厨の最大勢力はイーロン・マスクのような世界を変えるような変態的な天才たちではなく、上智大学くらいの上の下を卒業した中の上の年収650万円くらいの層である。さらにひどいケースでは、「年収700万円くらいの夫」を持った専業主婦が言ってたりもする。お前、、なんもやってないだろ・・・。

東アジアに共通するこの、才能を持って生まれたものを褒め称え(まぁこれは社会に貢献する人たちなので良い事と思うが)、運悪く才能を持ち合わせて生まれてこなかったものを「努力不足」というレッテルを使って見下し、いじめる文化は多くの人を不幸にするだけである。「努力さえすればあなたも(才能を持った)彼らのようになれる」と存在もしない人参を目の前にぶら下げ、空虚な期待を抱かせ都合よく使い、結局(才能のない)彼らは何も得るものはなく捨てられるのである。

フィリピンに住んでると、残飯を食べ、ゴキブリが横を走ってる路上で寝ている子供たちを良く見かける。この子の親たちは、経済状況も考えず、避妊も出来なかったクズどもである。この子たちに罪はないが、また彼らが大人になった時に同じことを繰り返し、新たな不幸を生む。会話してみるとわかるが、明らかに知能指数的な差を感じるし、基本的な社会で必要な知識や常識・マナーもほぼ持ち合わせていない。

また、私はなんか知らんが生まれつき虫歯菌を保持していないらしく、寝る前にチョコレートを食って歯磨きせずに寝ても人生で一度も虫歯になったことはない。一方、一日三食毎、食後に虫歯予防成分の入った歯磨き粉で丹念に歯磨きをしている人たちが何度も虫歯に悩まされ、歯医者に通ってるのをよく見る。

このフィリピンの子たちや虫歯マンと私の違いはなんだろうか?努力厨に言わせると、虫歯マンとフィリピンのこの子たちは努力をしなかった結果であり、私は血を滲む努力を重ねた結果なのだろうか?

答えはNOである。これらは全部単に「運」である。この子たちはクズ親の元に生まれ、毎日の食事も取れず、十分な教育も受けられないという最悪の運命であり、虫歯マンは虫歯菌を何故か持って生まれ、一方、私は偶然にも経済大国の日本で生まれ虫歯菌なしの環境で育ち、十分な教育を得ることが可能だっただけである。この単なる幸運を「自分の努力の結果」だの言う気はまっさらない。

たかが人間どもが努力で運命から逃れ、人生を変えられるなどと思ってる奴らは、ただただおこがましい。運悪く才能に恵まれなかった人間をさらに追い詰める社会は多くの人たちを不幸にするだけである。運命の偉大さを認め、諦め、受け入れることが幸せへの入り口だと思っている。

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